Macchi MC.72とシュナイダーカップ
Macchi MC.72の機体が何故人気が高いか?…というと、水上機にしてフェラーリのような優雅な機体のデザイン性。そして、その背景にあるF1レーシングのようなドラマがあったからです。そのドラマとは当時開催されていた「シュナイダーカップ」というエアレースです。Macchi MC.72の背景には下記のような歴史がありました。
ドラマ「空を飛びたい」「もっと遠くへ」「もっと高く」「もっと速く」。
1903年ライト兄弟の初飛行。航空機の歴史が始まってから僅か二十数年後。第一次世界大戦前のヨーロッパでは様々な飛行機レース(エア・レース)が盛んに行われ始め、それらのエアレースが後の航空機の発展に大いに貢献することになります。そのエアレースの中でも国の威信をかけた名勝負を競ったのがシュナイダーカップ(トロフィー)です。ほぼ三角形をした一周約50Kmのコースを3周しスピードを競うレースで、フランスの富豪ジャック・シュナイダーがスポンサーでした。彼が水上機・飛行艇の発展を願って賞金を寄付したことにより1913年に開始され、初めは飛行艇クラブの競争会みたいな雰囲気だったらしいのですが、1920年代に入ると国が総力を挙げて参加し、国家の威信と自国の航空技術力を賭けた激しい競争にヒートアップして行きます。優勝すれば次の開催地を優勝国で行なう事ができ、5年間で三回連続優勝するとトロフィーが永久的に保持でき、レース開催を終了するというルールで、イタリアが2連勝すればイギリスが阻止し、アメリカが2連勝すればイタリアが阻止し、イギリスが2連勝すれば…という白熱した展開で盛り上がり、最終的には12回レースが開催され、1931年にイギリスが三連続優勝を飾り幕を閉じました。その栄光の証であるトロフィーは、現在ロンドンのサイエンス・ミュージアム3階の航空機の間に展示されています。
(トロフィカップと言っても、手で持ち上げられるような物ではありません(笑)。こちらがそのシュナイダーカップです。高さ約150cm程あります。このトロフィーが展示されている直ぐ近くに優勝機である「スーパーマリンS.6B」も展示されています。こちらも現存するただ1機です。)
11回目の1929年、とうとうイギリスが名機スーパーマリンS.6Bによって3連続優勝に王手を掛けたのですが、ライバルのイタリアとしては黙っているわけにはいかず、Macchi (マッキ)社がこのシュナイダーカップのために、フィアット製V型12 気筒1,500馬力エンジンAS.5を2機を直列に配した奇抜なエンジンを搭載したMC.72(開発者のマリオ・カストルディの名をとっています)を開発、実に24気筒!ライバルである「スーパーマリンS.6B」のロールス・ロイス「R」エンジン12気筒の倍!これでロールスの2,300馬力に対し、フィアットは3,100馬力を確保。さらにエンジンのパワーに機体が負けてしまう事を防ぐために奇抜な2重反転プロペラを採用。これは2枚のプロペラがそれぞれ逆の方向に回転し互いのトルクをうち消す事でその問題を解決できました。イタリアはこの機体に国の威信を掛け、イギリスお3連覇を阻止すべくレースに挑むはずでしたが、テスト飛行中の事故や開発時間・資金不足等で1931年のレースに参加する事が出来ませんでした。結果的にイギリスの単独優勝とレースの3連覇によってシュナイダーカップは幕を閉じました。しかしイタリアはその後もMC.72の開発を続け、2年後の1933年に5機が完成し、6月10日にフランチェスコ・アジェロが682.078km/h、10月8日にはカシネ-リ陸軍中佐が629.370km/hを記録。翌年1934年10月23日、フランチェスコ・アジェロが最高711.462km/h、平均709.202km/hを達成、シュナイダーレースでイギリスが誇っていた世界最高記録を破りました。「試合には負けたが勝負には勝った」と言わんばかりのこのドラマが80年後の現在でも熱く語られているのです。この時の記録平均709.202km/hは現在でも水上レシプロ機の記録として破られてはいません。現在5機のうち1機のみが現存し、ローマの中心部から郊外に30km程離れた田舎町の外れにあるイタリア軍事航空史博物館に展示されています。
もし1931年のシュナイダーレースで、MC.72がスーパーマリンS.6Bと競っていたらというレースの夢の競演が、エアレースファンのみならず多くの方々の心を熱くしています。
レースその後
シュナイダーカップ(シュナイダートロフィとも言いますが)は幕を閉じましたが、イギリスのスーパーマリンS.6Bに搭載されていたロールスロイス社製「R」エンジンは名機「スピットファイアー」へと受け継がれ、第二次大戦では敵対するドイツ軍相手に目覚ましい成果を上げ、ロンドンを救った事は有名です。そして第二次大戦後半ではアメリカの「P51」戦闘機に同エンジンが搭載され、大きな航続力、高高度性能、運動性と共に多くの戦功を残し、最高のレシプロ戦闘機と唄われました。現在でも行われているリノのエアレースを始め、各地で開催されるエアレースにはリタイアしたP51が現在でも、整備をされながら数多く活躍し搭載されているエンジンもまた、ロールスロイス製マーリンエンジン・グリフォンエンジンであったりと永々と歴史が受け継がれています。
MC.72、スーパーマリンS.6Bそれぞれの機体の美しさは誰が見ても明らかですが、前述のような歴史背景と共に競い合ったドラマを語り聞くと胸が高鳴り、熱くなるのは当然かもしれません。